「街のデッサン(228)」 金がなくなり 世界を席巻する地域資本の飛翔構想
2020年4月5日(日) 配信
だいぶ以前になるが、パリに滞在している折、「牡蠣食えば金がなくなり放蕩児」という句をしたためたことがあった。無論、正岡子規の句のいわば剽窃であるが、無類の牡蠣好きである私には、切実な句を詠んだことになる。
パリっ子たちも牡蠣が大好きで、ちょっと肌寒い季節になると有名な高級レストラン、例えばル・ドームやラ・クポールの前には、フランスの各地から獲れた名のある牡蠣が木箱に山積みにされて、食指を誘うことになる。
無論、庶民には庶民向けの裏町や場末の食堂が負けじと牡蠣を並べて、庶民の胃袋を満たすことになる。私とすれば、裏町・場末派であるのは間違いないが、それでも何ダースか(大体12個が一皿に乗ってくるのがお得)を注文し、キリリと冷えた白ワイン(シャブリの白が最高であるが、値は高い)で楽しむと、結構の出費になる。今はキャッシュレスで、かつてのように財布の中身がみるみる減っていく実感は乏しいが、頭の中の財布へのダメージには抗うことができずにいる。そこで、件の俳句がいつも頭を過ることになる。
パリでは子規になってしまう私も、実は牡蠣養殖で有名な三重県志摩市を訪ねると、かなり気持ちが大きくなる。財布の中身は相変わらず薄っぺらであるが、昔からの友人である竹内千尋氏(志摩市市長)が「的矢かき」の宣伝になるなら存分にと、志摩を訪れるたびに黙って美味しい牡蠣の店にご案内いただけるからである。
このほど海女文化が「日本遺産」に認定され、志摩市で記念のシンポジウムが開かれたが、講演者として招かれた。私は「海女文化」に惚れ込んでいるが、実はそれ以上に志摩の「的矢かき」に惚れ込んでいて、夜の市長との懇談が待たれてならなかった。
その懇談のお店は、的矢湾を眼下にした「はしもと」。
湾に浮かぶ牡蠣筏から持ち込まれてくる牡蠣を、殻の底に残った塩水まで残さずに、やはり何ダースかいただいた。子規の句は、とうにどこかに飛んで行ってしまった。
最後のふくよかな身とレモン汁を飲み込んだのちに、市長に提言のプレゼン。「こんな素晴らしい的矢の牡蠣を、パリの直営店で食べてもらったらそれこそヨーロッパ中で評判になりますよ。店の名は〈オイスターリパブリック(牡蠣共和国)MATOYA〉。そこでは、カキフライから牡蠣の佃煮まで、日本の本当の食文化に出逢える店になるんです」。竹内市長の目が輝いた。御木本幸吉と並ぶ異端児が志摩から生まれるかもしれない。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。