「街のデッサン(232)」文化は危機に直面する技術 「ペスト医」の仮面(マスク)の記憶
2020年8月9日(日) 配信
1989年の冬だったと思うが、私はヨーロッパを始めとした国々を巡る旅を想い立ち、1~2週間の期間を用意することにした。それまで個人的な仕事を生業にし、数日の猶予も取れない忙しい日々を送っていたが、私の恩師の計らいで教職の場を得て、念願だった旅の時間を取ることが可能になったからである。
その年、まずは訪れてみたい憧れのイタリアの都市を巡ることにした。冬場の2週間、ミラノから入ってヴェネツィア、フィレンツェ、そしてローマまで、定番になっているコースを試みることにした。
時期は観光の季節から外れ、飛行機の運賃もホテル代も安く、観光地や施設も空いているから、軽い財布しか持たない我われ夫婦に最適と踏んだのだ。ミラノのヴィットリオ・エマニエルⅡ世ガレリアからスタートした旅は、確かに観光客は少なく快適だった。
入国してから3日後、夕暮れに列車でヴェネツィアの島の駅に到着した。ホテルを何とか探し当て、食事を取るため街に出たが脳味噌が凍るぐらいの寒さだった。人通りが絶えた街は、レストランを探すにも難儀したが、運河に面した角の建物のウインドウが明るい。近づいてみるとスポットで照らされた先に異様な仮面が並ぶ。数日前に終了したヴェネツィアの仮面舞踏会に使われていたものと気が付いたが、それにしても一画にある鼻の長い日本流にいえばカラス天狗のようなお面は、奇怪である。なぜかその不思議なマスクが心に残った。
2020年、年の始めからコロナ禍のパンデミックに襲われた。私たちは「ステイホーム」という標語で、家籠りを強いられたが、読みたい本を山積みにしていた自分には好都合。数冊を読み砕くなかで、あっと思うような言説があった。小説「薔薇の名前」の作者で記号学者のウンベルト・エーコの1節である。
エーコは、1983年にパリで開かれた芸術家や知識人の国際会議で、「文化(芸術)の創造性とは元々、危機を排除するのではなく危機に直面する技術である」と発言している。この思想を紹介してくれたのは日本の文化人類学者・山口昌男先生。発言で思い出したのが、件のカラス天狗。実は14世紀のペストの大流行に対処したペスト医のマスクだった。14世紀からこのマスクの内包する舞踏文化が伝わり、1979年、ヴェネツィアの現在の仮面舞踏会の再生の起点となった。私が「文化は危機に直面する技術」というエーコの思想を理解できたのは、30年後のコロナ渦中のマスクの記憶からであった。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。