感動と普通に良いものとの違いは?「感動」の言葉 世の中に氾濫
本業のビジネスの成果を通して社会に活力を与えるとともに、社会貢献にも寄与されたビジネスリーダーに贈る「シーバスリーガル18年ゴールドシグニチャー・アワード2014」の表彰式が1月17日、東京都内で開かれた(既報)。受賞者のエイチ・アイ・エス(HIS)会長、ハウステンボス社長の澤田秀雄氏と、放送作家、脚本家で「くまモン」の生みの親でもある小山薫堂氏、そして特別審査員を務めた作家の村上龍氏が「感動」などについて語り合った。
【増田 剛】
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村上:東日本大震災は大きな災害でしたが、自分と仕事の関係や、自分が作っていくものなどポリシーに変化はありましたか。
澤田:あまりなかったですね。ただ、私は実業家であり、ビジネスマンなので利益は非常に重要視します。しかし、「ただ利益を出し、お金をたくさん儲けるというだけでは駄目」というポリシーをずっと持ち続けています。その意味では、ハウステンボスの再建事業を手掛けてからもっと鮮明に感じるようになりました。お客様に楽しんでいただく、喜んでいただく、感動していただくことによって私たちのビジネスも良くなっていくかなと思います。
ハウステンボスの再建に取り組んで良かったと思っています。
小山:私はいつも自分が創り出したものが他の方の人生を良くする分岐点になればいいなと考えています。分岐点と言えば大袈裟ですが、ちょっとでもいい方に向くきっかけになる仕事を結果としてできたらいいなと思っています。
村上:澤田さんから「感動」という言葉が出ましたが、レストランが美味しいとか、映画が面白いといったような場合、ちょっと美味しいとか、面白いレベルでは人は他人に話すまではいかない。その料理やワイン、芸術作品に対して「驚いた」とき、「本当に感動した」ときに、人は誰かに「あれはすごかった」と話すのだと思います。それが口コミとなって広がっていくのだけれど、「これはすごい!」と感動を呼ぶものと、普通に良いものの違いはどこにあると思いますか。
澤田:人は基本的に新しいものや、感じたことのないものに触れたり、体にいい刺激を受けると感動すると思います。
小山:私は物語だと思います。物語とは、感情移入をさせることができるかどうか。愛妻弁当は他人が食べてもちっとも美味しくないが、自分の愛する人が作るその姿を想像したり、準備の苦労を考えたりするからこそ、食べたときに「美味いなぁ」と感じる。そこに辿り着くまでにどういう気持ちにさせるかという物語、シナリオが感動を生むのではないかと思っています。
村上:今まで感動してきたものを振り返ると、「感動させよう」というような演出が感じられないものであり、感動させようという意図が見えてしまうと、なぜか白けてしまうんです。演出が見えてしまうものには感動しないことが多い。
個人的には簡単には感動したくないと思っていますし、他の人も簡単には感動しないだろうから小説も丁寧に書いていこうと考えています。作り手には謙虚な姿勢が必要だと思っています。
小山:それは日本人の美徳というか、良い部分だと思います。ハリウッド映画では、「ここで泣け、ここで感動しろ!」という風に作りますよね。
村上:それぞれ世代も違いますが、昔はそれほど「感動」「感動」と言わなかったですよね。人がよく口にする言葉がその人に欠落していると言われますが、感動という言葉が世の中に氾濫している時代は、きっと本当の感動が減っているのではないかと思います。
小山:感動の閾値が上がっているのかもしれません。昔はバナナがおやつの王様と言われ、バナナでさえも人々は感動していました。
村上:感動の閾値が上がっている状態で、ビジネスや創作をしていくうえで一番大切なものは何だと思いますか。
小山:オリジナリティーではないでしょうか。いかに他と違うか、新しさがあるか。今のように情報が手に入れられるようになるとすぐに比較ができるので、そこではオリジナリティーが求められると思います。
村上:オリジナリティーをクリエイトしていくにはどうすればいいと思いますか。
小山:天の邪鬼のように常にどこか反対側から見る視点も大事です。
澤田:ディズニーもやらないような他でやったことのないオンリーワンのものや、日本一、世界一のナンバーワンを目指していきたいですね。