〈旬刊旅行新聞10月1日号コラム〉大崎上島を再訪 「親切でやさしく一生懸命に」の宿
2020年10月1日(木) 配信
3男が広島商船高等専門学校という学校で5年半の間、学んでいた。広島県の大崎上島という、竹原港から山陽商船のフェリーで約30分の離島で、航海士を目指して寮生活をしていた。
新型コロナウイルスの影響もあって、船上での訓練などのスケジュールが大幅に変更となり心配していたが、この秋ようやく卒業することになった。
卒業式の日は、真っ青に晴れ渡った。瀬戸内海独特の静かな海と、心地よい海風に吹かれながら、フィナーレに真っ白な航海服を着た卒業生たちが白い制帽を大空に投げたシーンに、私の心は震えた。
まだ中学生だった息子を連れて、秋の学校説明会や真冬の受験、桜が咲き乱れる春の入学式など、何度も大崎上島を訪れた日々を思い出してしまった。
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卒業式の前日には、大崎上島にある「きのえ温泉ホテル清風館」に宿泊した。
同館の角南正之社長は、今年1月に東京で開いた「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の表彰式にもご出席いただいた。息子の卒業式とともに、ホテル清風館に宿泊することが楽しみであった。
ホテル清風館の料理は、鯛やアワビ、サザエなど豊富な地元の素材をさりげなく使い、なおかつ、味付けなどの調理はしっかりとしている。器もこだわっている。
多島美を誇る瀬戸内を一望できる露天風呂も、気に入っている。日が暮れかかった海に大小さまざまな船が行き交う。潮風を感じながら、そのような風景をただぼんやりと眺める時間がいい。
今回、久しぶりに訪れたが、数年前よりも宿全体の雰囲気が明るくなっていた印象を受けた。フロントや食事会場で接するスタッフが伸び伸びとして、笑顔が絶えない。訪れた人も清々しい気持ちになる。
角南社長は「自分たちは田舎の旅館で素人」と謙遜する。「だからこそ、『親切でやさしく一生懸命に』を経営理念に掲げています」とおっしゃる。まさにその理念が浸透しているようだ。
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宿のロビーに「バー」ができていたことにも驚いた。
私はバーのある旅館が好きだ。ホテル清風館のバー「サファイア」には、バーテンダーの田村知行さんが笑顔で迎えてくれる。田村さんは東京の帝国ホテルに41年間在籍し、数々の著名人や文化人を相手に腕を磨いてきた。
今回は地元・大崎上島のライムを使った特性のジン・トニックと、瀬戸内海のブルーをイメージしたオリジナルのカクテルを作っていただいた。
田村さんは大崎上島に魅了され、退職後に移住した。そのことを知った角南社長は宿にバーカウンターを作り、田村さんを迎え入れた。今では、このバー「サファイア」が宿の1つの個性として、浴衣姿の宿泊客に楽しいひとときを提供している。
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大崎上島は、観光地としては決して知名度が高いわけではない。しかし、背伸びをせずに、自然や人と向かい合う姿勢をいつも感じる。「本当の力量」が高い島だと感じる。
最近、宿泊特化型のビジネスホテルに宿泊する機会が多かったが、素朴さを否定せず、「親切でやさしく一生懸命に」を目指すホテル清風館に、「旅館で過ごす時間と空間」の心地よさを改めて教えていただいた気がした。
(編集長・増田 剛)