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「観光人文学への遡航(5)」 定言命法と仮言命法

2020年11月23日
編集部

2020年11月23日(月) 配信

 

 我が家の近くにカウンターだけのカレー店がある。人気店だが、先客もさくっと食べて立ち去るため入れ替わりが早いので、待っていてもすぐ順番がくる。そんなカレー店に久々に行ってみたら、Go Toイートキャンペーンに登録したらしく、席についてからGo Toの「予約」をとってもいいとの貼り紙がされていた。どう見ても、予約をして行く店ではないし、予約したところで、少ないカウンター席をどうやってオペレーションするかを考えたら、予約なんか取らずに回転を早くした方がいいに決まっている。きっと客側からの要望に抗し切れなかったのだろう。

 
 美味いカレーを食べたいからその店を選ぶのではなく、ポイント目当てにその店に行くという行動をよりにもよって国が推奨するということに何も感じないということは、自由を剥奪されることに対しても無頓着であるということだ。これは大袈裟でもなんでもない。Go Toの「成功」で、何か目眩しの条件をつけることで、人の自由を奪い、黙らせることができるということが証明されてしまった。

 
 カントの考える真の自由とは、「自律的に行動すること」である。自律的とは、自分以外のものが下した決定に従って行動するのではなく、善意志に基づいて自分で定めた法則に従って行動するということである。

 
 善意志という概念は、稲盛和夫が京セラ、KDDI、日本航空でそれぞれ語ったフィロソフィにおいて、分かりやすい表現がなされている。稲盛は人生の成功の方程式を「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」と表した。さらに、能力と熱意はそれぞれ0点から100点まである一方、考え方はマイナス100点からプラス100点まである。すなわち、悪い考え方をした場合、能力や熱意の点数が高かったら、それが一転マイナスとなる。善に基づくものでなければ、いくら頑張っても、いや頑張ったら頑張っただけ、マイナスの結果となる。

 
 カントは有用性や利便性といった理由で行為することにまったく価値を見出していない。そうすることが正しいから行為するといった「義務の動機」に価値を置いた。義務という言葉が、「やらされている」感覚を想起させるが、本当の義務とは、人として無条件に当然やるべきことを示す。この無条件に行為すべきことを定言命法と言い、何らかの条件があったときに行為に至ることを仮言命法と言う。褒められるから、自分が気持ちいいから、利得があるから、ポイントがつくから行為する等々、世の中は仮言命法にあふれている。

 
 カントは、仮言命法であふれる世の中になると、結局自分の利福を優先する行為ばかりとなり、道徳的な社会から離れていくと説いた。現在まさにそれが普通の感覚になりつつあることに大いなる危惧を抱く。

 

コラムニスト紹介 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。日本国際観光学会会長。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

 

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