〈旬刊旅行新聞3月1・11日合併号コラム〉精神性の高い旅 「何とか救われた」人が1人でもいたら
2021年3月11日(木) 配信
2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年が経った。東京都内の事務所でパソコンの前に座っていたときに、長く、激しい揺れに直面した。当時のビルがミシミシと音を立て、上下左右に揺れ、机や棚が倒れたことを覚えている。その後、間もなく訪れた大津波や、原発事故によって、被災の激しかった東北地方を中心に、日本全国が悲嘆に暮れた。
震災は金曜日の午後だったため、一夜明けた土曜日の朝、ヘリコプターから映し出される被災状況を目の当たりにし、それまで分からなかった被害の大きさが徐々に明らかになっていった。
大津波で肉親が行方不明になり、瓦礫の山の前で茫然自失の状態で立ち尽くす人々の後ろ姿に、心が震えた。自衛隊が被災地に入り、どこから手をつけていいのか分からない状況のなか、生存者を懸命に探し出し、救助活動が行われた。
テレビでは娯楽番組などがすべて消えた。報道番組では余震が続くなか、キャスターやアナウンサーはヘルメットをかぶって現地と中継を結び、被災状況や避難所の状況などを声高に伝えていた。大規模なイベントも中止や延期となり、国民全体が喪に服した状態となった。
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やがて、水や食料、毛布、日用品など救援物資が、体育館などの避難所に届くようになり、その後、仮設住宅も建てられた。肉親も家も流されて、孤独に苛まれた被災者が自ら命を絶つニュースも流れた。
そのころになると、人気芸能人やミュージシャン、スポーツ選手らが被災地を訪れ、一緒に歌を歌ったり、笑いを提供したり、被災者の心の癒しに力を発揮した。
また、「被災者のことを考えると、旅行や宴会などをすべきではない」という自粛ムードのなか、「小さな力かもしれないが、個人でも被災地を経済的な面から支援していこう」と、復興支援ツアーが組まれたり、さまざまなシンポジウムや、イベントが東北地方で開かれたりするようになった。観光業界も、東北の復興支援に大きく寄与したことを記憶している。
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3・11の後も、全国各地で地震や台風、豪雨被害が毎年のように発生した。その度に、東日本大震災で学んだ救援活動やボランティアによる支援、心のケア、復興支援を目的とした観光ツアーなども組まれた。自然災害が宿命の日本は、他の国にはない、ノウハウも積み重ねられてきたように思えた。
しかし、昨今世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症には、自然災害とはまったく異なる対応が必要なため、日本を含め、世界の多くの国は、対策の難しさに苦慮している。
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3・11から10年の節目を迎えた。少しずつ人々の記憶から風化していくのは仕方ない。一方で、震災や津波、豪雨などで大切な人を失った人の心の傷は簡単には消えない。心を塞ぎ、自室に閉じこもっている人も多くいるだろう。
私たちは観光業界の小さな新聞社にすぎない。けれど、観光や、旅の力で、「何とか救われた」と感じていただける人が1人でもいたら、発行も無駄ではないかもしれない。少し歩くだけで、心の傷がわずかに和らぐかもしれない。そのような小さな旅や、巡礼道を「精神性の高い旅」として、小紙では一つずつ見つけて、紹介していこうと思う。
(編集長・増田 剛)