「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(194)」 ジャパンレッドのまちづくり(岡山県高梁市成羽町吹屋)
2021年3月28日(日) 配信
標高500㍍の山中に突如現れる「赤い町並み」。かつて国内屈指の弁柄(べんがら)と銅生産で栄えた鉱山町、岡山県高梁市成羽町吹屋の集落である。
国内で唯一産出する赤色顔料の弁柄は、九谷焼や伊万里焼、輪島塗など、我が国を代表する陶磁器や漆器の“赤”を「ジャパンレッド」と表現し、昨年6月、日本遺産に認定された。
この弁柄は、周辺の銅山から鉄鉱石とともに産出される硫化鉄鉱石から取り出した緑礬(ろうは)が原料。緑礬を窯で焼成、水槽に入れて不純物を取り除き、細かく粉成、脱酸し、天日乾燥させて赤い粉末状にしたものである。陶磁器や漆器だけでなく、建築材料や船舶の防腐塗料などとして重用され、「吹屋弁柄」として全国市場を独占した。
弁柄で得た財をもとに、各商家などは石見(島根県西部)から宮大工や瓦職人などを招聘し、競うように優れた意匠の町家を建てた。これが他に例を見ない「赤い町並み」として、1977(昭和52)年に岡山県初の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された。
周辺には弁柄の製造に携わった「旧片山家住宅」(重要文化財)をはじめ、弁柄の製造工程を見学できる「ベンガラ館」、弁柄で財をなし豪壮な屋敷構えを誇る「旧広兼家住宅」や「西江家住宅主屋」、三菱鉱山本部跡地に建設された「旧吹屋小学校校舎」(県重要文化財)など、レトロ感あふれる建物群がこのまちの繁栄を象徴している。
弁柄の原料になった銅は、この地域では807(大同2)年開坑と伝わる吉岡銅山を起源としている。銅は戦国武将たちの争奪戦の標的となったが、大きく展開したのは江戸中期、大坂泉屋(後の住友家)が経営に参画し、国内屈指の産銅量を誇った。一時衰退するものの、明治初年に岩崎弥太郎の三菱商会が買収し、巨大な資本力と海外技術の導入により近代経営を展開した。
鉱山は1972(昭和47)年に閉山となったが、跡地には坑道・選鉱場・精錬所・沈殿槽・トロッコ用トンネルなどの遺構がみられる。吉岡鉱山の近代化は、我が国鉱山の最初期のモデルでもあり、西江家18代ご夫妻らが中心となり、一時期は世界遺産登録に向けた運動も盛り上がった。
筆者も昨年視察させていただいたが、ある程度のまとまったエリアに銅の採掘から精錬までの一連のシステムがコンパクトにまとまり、そのわかりやすさという点では、大きな可能性を感じた。
日本遺産認定を契機に、地元では赤い夜の町並みを映し出す「吹屋ベンガラ灯り」や弁柄衣装を着た「吹屋小唄踊り」、アートで地域魅力を演出する「吹屋ベンガラート展」なども開催されている。これらのイベントとともに、「ジャパンレッド」のブランドを生かした、この地域の新たな産業創造と雇用創出の息の長い取り組みを是非模索してほしい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)