「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(195)」 開国の町浦賀の赤レンガドライドック(神奈川県横須賀市)
2021年4月25日(日) 配信
地域は自らが一番輝いた時代の歴史を語る。当たり前のことだが、その地域の輝きには、今に至る興味深い前史がある。そんなことを強く感じさせてくれる町の1つが神奈川県横須賀市である。
横須賀は、旧幕府勘定奉行小栗忠順の指示により、フランス人技師、レオンス・ヴェルニーが開設した横須賀製鉄所(のちに造船所)と、1884(明治17)年に日本初の海軍鎮守府が置かれた町として知られる。戦後は米軍の駐留で、旧海軍鎮守府庁舎や横須賀製鉄所ドックなどの施設は、すべて米軍施設内に接収された。京急汐入駅の近くから運航される軍港クルーズ船からは、ドックの遠景を海から眺められる。
しかし、横須賀の原点は、1853(嘉永6)年のペリー艦隊来航で注目された開国の地、浦賀にある。一般の方々には、昨年300年を迎えた浦賀奉行所が馴染みがあるかもしれない。浦賀奉行所は1720(享保5)年、東京湾航行の船改めや海難救助などの目的で設置された。ペリー艦隊来航前から、浦賀には英国などの外国船の来航がみられた。奉行所は、いわゆる「入鉄砲に出女」を見張る海の関所であったが、ペリー艦隊の来航以来は海防の拠点として脚光を浴び、幕末には長崎よりも格の高い奉行所になっていた。
3月初旬、その浦賀を訪ねた。しかし目的は奉行所ではなく、京急浦賀駅近くの住友重機械工業の赤煉瓦ドックである。浦賀ドライドックは、咸臨丸が太平洋横断の航海に出る前に、修理のため建造されたことに始まる。当初のドックは1859(安政6)年に建造された、我が国初のドックである。現存は、1899(明治32)年に竣工、長さ180メートル、幅20メートル、深さ11メートル、フランス積赤煉瓦の巨大な構造物である。住友重機械工業のドックとして活躍したが、既に操業を停止。今年3月には、横須賀市が無償譲渡を受けた。その偉大な存在感のために、活用が俄かに注目されている。
赤煉瓦ドックは世界に5つしかなく、この浦賀ドック近くにある川間ドックのほか、残り3つはすべてオランダにある。使用された赤煉瓦は、浦賀周辺で焼かれたものではなく、なんと、遠く愛知県安城市にあった旧根崎煉瓦合資会社(現岡田煉瓦)製という。ちなみに中部エリアとは酒や酢などの樽廻船で浦賀が深く結び付いていた証拠でもある。
浦賀は、横須賀中央からは少し離れた場所にあり、観光的にも今ひとつ知名度は低い。だが、上地克明市長が標榜する「海洋都市」構想のもう一つの重要拠点として高いポテンシャルをもっている。コロナ禍ではあるが、既に地元の意向調査とともにマーケットサウンディングなどが進められている。近隣の久里浜や観音崎、千代ケ崎、走水などにある鎮守府ゆかりの近代化遺産群とともに、横須賀の新たな魅力的拠点づくりとして大いに注目されるところである。
(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)