津田令子の「味のある街」「くず餅」――船橋屋 亀戸天神前本店(東京都江東区)
2021年6月5日(土) 配信
毎年、蒸し暑いこの時期になると食べたくなるものがある。創業1805(文化2)年の船橋屋の「くず餅」だ。亀戸天神社の参道近くのレトロな店構えが印象的。現在の建物は東京大空襲で焼けてしまったあとの1953年に建てられたものだという。明治初期に出た「大江戸風流くらべ」というかわら版で、甘いもの屋番付の横綱にランクインしたというのだから庶民の味としても、お墨付きだ。
大通りに面しているのに店の中は静かにゆったりと時間が流れている。せわしい都会に暮らしていると、こういう場所が恋しくなる。店に入ると正面の大きな古時計が時を告げていた。天井が高く、明るすぎない店内、心地のよい空調など、居るだけで癒される。
4人掛けのテーブルが幾つかと、10人掛けのが1つ置かれている。皆それぞれ好物の甘味を美味しそうに食べている。「9切れも入ってる。食べられるかしら」と言いながら、ぺろりとくず餅を平らげている女性2人組は、マスクをテーブルに置いては付け、付けては外して静かにおしゃべりをしている。幅広い年齢層の人たちが甘いものに夢中になっている光景は、コロナ禍でも「平和な空間だ」と実感できる。
店のなかほどに「船橋屋」と書かれた大きな木の看板が掲げられている。この看板は作家の吉川英治氏が書いたものだ。吉川英治さんが、船橋屋のくず餅についてくる黒みつを大変気に入り、余った黒みつをパンに付けて食べていたことを6代目のご主人が聞きつけ、それならば「ぜひお礼を言いたい」という願いから出版社に口を聞いてもらい、会いに行ったのがきっかけで書いていただいたという。
くず餅は小麦でんぷんを15カ月ものあいだ熟成発酵させたものが原料だ。それを水で攪拌し、溶かして型に入れて蒸しあげたもの。
「作るのに15カ月もかかるのに日持ちはわずか2日なんです。丁寧にこしらえて一番コンディションの良い状態のものを召し上がってもらえればと思っております」と店の方は言う。冷蔵庫に入れると固くなってしまうので、常温での保存が好ましい。
(トラベルキャスター)
津田 令子 氏
社団法人日本観光協会旅番組室長を経てフリーの旅行ジャーナリストに。全国約3000カ所を旅する経験から、旅の楽しさを伝えるトラベルキャスターとしてテレビ・ラジオなどに出演する。観光大使や市町村などのアドバイザー、カルチャースクールの講師も務める。NPO法人ふるさとオンリーワンのまち理事長。著書多数。