「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(198)」 鎮守府120年と新たな観光まちづくり(京都府舞鶴市)
2021年8月1日(日) 配信
京都舞鶴と言えば、旧海軍の町を連想される方も少なくないだろう。舞鶴旧鎮守府は1901(明治34)年、日本海側唯一の守りの拠点として、国内4番目の鎮守府として開庁した。今年は開庁120年の節目を迎えた。
鎮守府時代から大正初期にかけて建設された堂々たる赤煉瓦倉庫群12棟は、現在でもそのまま保存活用されている。所有者は5棟が舞鶴市、3棟が国、その他4棟が海上自衛隊である。市と国が管理する8棟は、「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」の名称で国の重要文化財に指定されている。
いわゆる1号棟と呼ばれる旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫は、93年に赤煉瓦博物館として改装された。これを皮切りに2号館が舞鶴市制記念館、そして2007年に旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫の3号館が「まいづる知恵蔵」、12年には4号館と5号館がそれぞれ「赤れんが工房」「赤れんがイベントホール」として開館した。
こうした赤煉瓦倉庫の活用は、1990年代に設立された赤煉瓦倶楽部(のちに赤煉瓦ネットワーク)の活動の大きな成果である。私自身、この地域に深く関わるようになったのは、2007年に経済産業省が創設した「近代化産業遺産群33」の認定以来である。また16年の文化庁日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」の認定では、海軍鎮守府としての4つの港湾都市が持つ共通項とともに、それぞれの都市の個性を生かした「鎮守府物語」をストーリー化し、そのビジョンとともにさまざまな活用事業を展開している。
このストーリーを踏まえ、今、舞鶴では次の大きな仕組みづくりが進んでいる。未活用の赤煉瓦倉庫を含む、赤煉瓦パーク全体を公募設置管理制度(いわゆるPark―PFI)などの手法により、民間活力を導入して抜本的な活用をはかる構想である。既に2015年度から17年度に掛けて、「赤れんが周辺等まちづくり基本構想」及び「基本計画」の策定を終え、今後は未活用の赤煉瓦倉庫や周辺の文庫山施設、海に面したウォーターフロントなどを、民間の力を借りて飲食、物販、宿泊事業などとして活用しようという構想である。
赤煉瓦パークは、もともと年間100万人を集客する舞鶴観光の核である。しかし、その周辺には、旧鎮守府時代の鉄道跡、トンネル、浄水配水池、要塞や砲台跡、ホフマン式煉瓦窯、さらには現役の海上自衛隊地方総監部や収蔵史料館、旧海軍工廠を引き継いだ民間造船所などもある。
これら歴史資源は、今やビッグバンのように広く散在している。赤煉瓦パークは、これら資源を体系的に編集し、地域の歴史文化を総合的に情報発信するミュージアム拠点となってほしい。地域全体のフィールドミュージアムの拠点として展開できれば、舞鶴の新たな文化観光のカタチができる。今後の計画の具体化に大いに期待したい。
(日本観光振興協会総合研究所顧問 丁野 朗)