【精神性の高い旅 ~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その4- 源頼朝の二所詣(2)三嶋大社(静岡県三島市) 頼朝の足跡に想像の翼を 三嶋大社と流刑の地蛭ヶ小島
2021年8月8日(日) 配信
前回に引き続いて、源頼朝の二所詣の地を歩くことで、源頼朝の足跡とその想いに想像の翼を広げてみたい。
頼朝は13歳のとき流罪となり、伊豆蛭ヶ小島にやってきたが、軟禁状態とはいえ、平氏とその勢力を二分した源氏の直系跡取り息子ということで、ぞんざいな扱いはされていなかったようである。
平氏家来の監視下で、頼朝は父義朝をはじめとする戦で命を落とした人々の霊を弔い、信仰を篤くした。
頼朝は、征夷大将軍になったのち、箱根権現、伊豆山権現に加え、この伊豆滞在時代に崇敬していた三嶋社(現在の三嶋大社)を含めて「二所詣」とした。頼朝は、権力の座に就いてからも、自分が最も辛い期間を過ごした地を毎年訪問していたということからも、一般に言われている血も涙もない冷徹な権力者というイメージよりも、実体は逆で己を冷静に見つめ直すことをやっていた人なのではないかと想像する。
精神性の高い旅は、想像力を最大限に高めながら歩くのだ。
三嶋大社は三島駅の南に位置し、湧き水がところどころにあるのを眺めながら、徒歩で行くのをお薦めする。私は春に訪れたが、満開のソメイヨシノが迎えてくれた。そのあと、枝垂れ桜も美しいそうである。また、秋には、頼朝もその香りを愛でたであろう樹齢1200年を数える金木犀も楽しめる。
かなり大きな本殿にまずは圧倒される。拝殿正面には立派な彫刻が施されている。中央は天照大御神が天岩屋戸から出てくるようすを表し、右側の彫刻は、吉備真備が囲碁をしているようす、左側の彫刻は、源頼政が妖怪を退治するようすを表している。
三嶋大社は、頼朝にちなんで戦勝祈願に訪れる参拝者が後を絶たないが、単に賽銭を投げて手を合わすだけでなく、この彫刻を鑑賞して、戦いに勝つには、「知恵と勇気の両輪が必要である」ということを知るべきである。
三島からさらに南に車を15分も走らせれば、流刑の地蛭ヶ小島に行くことができる。世界遺産に登録されている韮山反射炉のすぐそばである。大きな観光地にはなっていないが、頼朝と政子の像が迎えてくれる。ここにはこの2人の像と石碑しかないが、このような場所で頼朝が源氏再興を願い、政子と出会ったのだということを想像するには、何もない方が想像も膨らんでいく。田んぼが今も広がっていて、豊かな土地であったことを物語っている。
文覚上人という怪僧もまた流罪に処され、この地に辿り着いた。文覚は父源義朝の髑髏を持ち、この地で源氏一門の霊を弔いつつ静かに暮らしていた頼朝に会いに来て、決起を促した。文覚と頼朝との交流は生涯にわたって続き、頼朝の全権掌握後、文覚は神護寺、東寺、高野山、東大寺、江の島弁財天など、各地の寺院の建物の修復に心血を注いだ。
その文覚上人流寓跡が蛭ヶ小島の近くの山道を少し上っていったところにある。今は石碑と小さな祠と岩があるが、頼朝が蟄居していた蛭ヶ小島は見通しのいい平野にある一方、文覚がいた場所は山あいに入ったところである。
きっと頼朝は、大事な話は蛭ヶ小島ではなく文覚のところで本音を吐露したに違いないと、その地に足を踏み入れて想像した。
その地の料理に舌鼓を打つことも旅の楽しみである。全国的にはうなぎといえば浜名湖が知られているが、静岡在住の私の友人2人に聞くと、2人ともから三島のうなぎがうまいとのアドバイスをもらった。
富士山から流れてくる清冽な湧き水が豊富な三島だからこそ、その言葉には説得力がある。三島では、歴史散歩と食の両方を堪能することができた。
■旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授、日本国際観光学会会長。「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。