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予定調和のサプライズ ― 笑顔で感動を押しつけてくる風潮

2014年7月1日
編集部

 とくに男たちの方がサプライズを演出することが好きなのかもしれない。ロマンチックな想像を勝手に思い巡らせて、彼女の驚く顔を見たくて、何かの中にプレゼント用の指輪なんぞを忍ばせたり、街中のイルミネーションでプロポーズのメッセージを伝えたり、外連味あふれるアイデアを絞り出して命懸けでがんばったりする。サプライズものが得意なオトコがモテるのかもしれないが、そういうのはできなかった性質だ。 

 昨年から「おもてなし」という言葉が一段と脚光を浴びている。日々生活するなかで、さまざまな場面で「おもてなし」と出会う。時折、そのおもてなしが鬱陶しく感じる人がいるかもしれない。しかし、それは、きっと与える側の表面的な、形式上のおもてなしであって、本当のおもてなしではないのかもしれない。

 さて、旅館業界にも「サプライズ」好きの宿もある。例えば料理に火を付けると美しい炎が出て一瞬びっくりさせたり、何かの食材を意図的に隠して、お客に開けさせて驚かせたり、こちらもアイデアは尽きない。

 しかし、哀しい哉、私はもうほとんど何も感動しないし、感激もしないタイプの人間に成り下がってしまった。

 料理人や、スタッフが自分の前の料理に突然炎を上げたり、トリックめいたものをされたりしても、ただただ困惑してしまうばかりである。派手な視覚的な「サプライズ」には、ちっとも驚いたようすも見せない、店側にとっては最もつまらない、不感症人間なのだ。

 若いスタッフが、満面の笑みで「蓋を開けてみてください」というように、いかにもそこにサプライズが潜んでいるのがあらかじめわかる状況にあって、お客自らが蓋を開け、「わーすごい!」と驚くようすをスタッフが脇で待っている状況に、ちょっと耐えられない。

 でも、これは、果たしてサプライズだろうか。あまりに予定調和過ぎて、リアクションの下手な私などは、喜んだり、驚いたりするフリをするのが苦痛である。ふつうに食べさせてほしいと思うタイプなのだ。

 女の子などは、スマホで写真を撮ってブログなんかに載せるネタになるのかもしれないが、そんなものと一切、関係ない世界に住む人間としては、表面的な派手な演出よりも、「できれば中身の味の方で、(サプライズとやらを)お願いします」と思うのである。

 また、これらサプライズの演出をするのなら、せめてその瞬間くらい、演出者は姿を消してほしいと思う。少しでも感動したのなら、再びスタッフが現れたときに客の方から目を輝かせて感動を伝えるはずだ。

 「さあ、今だ、驚け!」と、そこに立ち尽くされては、感動の強要になる恐れもある。

 本当のおもてなしとは、表面的なサプライズなどではなく、きっと気づかぬように配慮するものだろう。「なぜかわからないけど、くつろげる」「客室に誰も入って来ないけど、放って置かれたような寂しさを微塵も感じない」というのがいい。姿は見せないが、ハッと気がついたとき、自然に涙がこぼれてくるようなものを本当の「おもてなし」というのだと私は思っている。旅館業界に「このシーンではこういう風に感動してくださいね」と、笑顔で押しつける風潮が一般化することを危惧している。

(編集長・増田 剛)

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