〈旬刊旅行新聞10月21日号コラム〉哀悼 松坂健さん―― 華があり、最期まで原稿に向かい合う姿
2021年10月21日(木) 配信
松坂健さんが10月8日に亡くなった。
松坂さんは本紙で20年以上にわたり、毎月21日号の連載コラム「トラベルスクエア」を執筆していた。毎月、原稿とともに、そのコラムを書いた時勢に対する感想も添えられていた。
9月10日、いつものように原稿の締め切り日を知らせるメールを送ったが、数日経っても松坂さんから原稿は送られてこなかった。
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過去にも何度か、そのようなことがあった。その場合、フェイスブックのダイレクトメールで原稿の催促をする。すると、遅くとも数時間後には必ず返答が来て、深夜であっても原稿が送られてきた。
しかし、今回はダイレクトメールにも返信はなかった。だから校了日間際の16日に、直接電話を掛けた。数回コールの後、松坂さんが出られた。
「原稿ね、今日中に必ず書きます」と松坂さんの声がした。その声に力がなかったので、私は何かを言おうとした。しかし、止めた。このため2、3秒間、妙な沈黙があった。「それでは、よろしくお願いします」とだけ言って私は電話を切った。その日の夕方、松坂さんから約束通り、原稿が送られてきた。
最後となった原稿は、句読点がバラバラで、誤字も多かった。激闘の証だった。
内容は最近、Zoom懇談会で知り合った大分県佐伯市の「投げ銭」制を取り入れる女性オーナーの話だった。「コロナ禍の閉塞感を打ち破るのではないか」と結ぶ、松坂さんらしく、明るく、前向きな文章で締めくくられていた。そして、いつものようにコラムのあとに、コメントがあった。それは、宿のオーナー名と、「きっと会ってくれるはず」と私へのメッセージが添えてあった。
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松坂さんとは何度か、食事や飲みに行ったこともあった。かつて「月刊ホテル旅館」の編集長を務めていたことで、編集者としての心得をいくつか授かった。自分が楽な方を選ぼうとしたときに突き刺さる言葉だ。
旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」の表彰式や、「全国旅館おかみの集い」(全国女将サミット)の会場にも度々参加していただいた。
松坂さんのトレードマークである、蝶ネクタイ姿が会場を華やかにした。旅館の女将たちの人気もものすごく、松坂さんの周りには女将の輪ができた。華のある方だった。
最近は、松坂さんの奥様、女優の晴恵さんが主宰する「劇団フーダニット」の公演を年に2回ほど観に行くのが常だった。そこで広報役を担当していた松坂さんと幕間のロビーで会うことを楽しみにしていたが、今年7月の公演では、松坂さんとのすれ違い、会えずにいた。
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旅行作家・野口冬人さんが亡くなられたときのことを思い出す。やせ細った体で、ベッドの上で最期まで執筆に執念を燃やしていた。
松坂健さんも、死の直前まで原稿を書き続けられた。偉大な先達がいなくなっていくのは、寂しい。
野口さんにも、松坂さんにも、旅行新聞の紙上では「厳しい論調」をお願いしていた。軽妙に書かれていたとしても、コラム欄は、小さな戦場である。
松坂さんのご冥福をお祈り致します。
(編集長・増田 剛)